2010年10月28日

明るい部屋と暗い部屋

明るい部屋と暗い部屋

















一概にどちらがいいときめることはできないですが
















ずっと明るい部屋にいる場合とずっと暗い部屋にいる場合


















人の心にはどういう影響があるだろう

















おそらく暗い部屋にずっといると気持ちもふさぎこんでくるだろう


















今の若者はやる気がないらしい


















暗い部屋にずっといたら仕方ないと思う


















暗闇に明かりをつけることができるのは

















限られた人にしかできない
















すべての人がそうできるとは思えない














若者だけを問題にするのではなく




















環境から考えて行かないといけない




















posted by 炎丸 at 07:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

悪いことをしちゃぁいかん

人間なんて


















ちょっと追い込まれればなんだってするさ
















善悪の判断よりも
















生命の維持のが勝る

















悪いことをしちゃぁいかんというのは簡単


















しかし、重要なのは追い込まれないような環境を作ること
















posted by 炎丸 at 19:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

形にも魂は宿る

形式にこだわり形式から入る人もいます
















しかし















気づけば形式に気持ちがこもるようになります
















昔のしきたりにも意味があるのでしょう
















その性質を利用したしきたりも数多くあります
















決まり決まった形を侮るなかれ















形式に縛られるのではなく
















むしろ利用すべし















前置きはここまで















本題を書こうと思いましたが
















忘れました

posted by 炎丸 at 09:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月19日

コミュニケーションと欲(感想募集中)

それでは、今なぜ、コミュニケーションなのか。
なぜコミュニケーションに焦点をあてて話をするのか、
そのことについて話を進めていきたいと思います。

コミュニケーションは人間が生まれる前からずっと存在している。
というのは先にお話しました。

人間が人間であるはるか前から動物同士や動植物の間でも、
なんらかのコミュニケーションは行われていただろうというという話です。

そして、人間も生まれた時からコミュニケーションを行っていると推測されます。

私は人間にとってコミュニケーションは必要不可欠なものだと思っています。
人間にとって食事をすることや睡眠をとることとと同じくらい重要だと思っています。

それはなぜかということを説明します。

人間の考察に欠かさるべきものとして欲というものがあり、
コミュニケーションについても人間の強い欲というものを感じます。
人間的欲求よりも強い動物的欲求としてのそれを感じるのです。

人間は動物であり、動物も食事をとったり睡眠をとったりします。
当然、人間も例外ではありません。

そして、誰に教わるわけでもなく、食事や睡眠をとろうとするわけです。
これが食欲や睡眠欲が他の欲求よりも先立つという一つの考え方であります。

コミュニケーションについても同じことが当てはまると思うわけです。
コミュニケーションについても誰に教わることなく、
自然とそれを行なおうとするのです。

そして人間は、他の動物よりもさらに多くの情報をもって
コミュニケーションを行っています。

そう考えると、ひょっとすると他の動物よりも、
コミュニケーションへの欲求は強いといってもいいのかもしれません。

こうして、人間が生まれてこの方、ずっとコミュニケーションを行ってきているわけですが、
それは必要にかられてのことです。

もう一つ、人間の欲とコミュニケーションについて話をします。
先ほどの話に違和感がある人はこの話の方が納得が行くと思います。
先ほどは、コミュニケーション欲を他の欲と同列で考えましたが、別物として考えます。
答えはないので、しっくりくる方で考えてもらっていいです。

もともと人間にあると言われる欲求に、自己保存の欲求と遺伝の欲求があります。食欲や睡眠欲は自己保存の欲求で、性欲は遺伝の欲求になります。

この話に当てはめるとコミュニケーション欲はどちらにも当てはまりません。
ではどういう位置づけになるのか、それは間接的な欲求という位置づけです。食欲や睡眠欲、性欲は直接的な欲求で、コミュニケーション欲は間接的な欲求です。
直接的に自己保存や遺伝に関わるものではありませんが、間接的に影響を及ぼします。コミュニケーションがないよりもある方が、断然自己保存や遺伝に有利なのは言うまでもないと思います。

現代社会は貨幣経済です。ここでこの世に登場して久しい貨幣に対しても金欲という言葉があります。
この金欲は先ほどの話しでいくと、間接的な欲求に当たります。直接的に自己保存や遺伝に作用しませんが、お金がある方が断然有利です。

このように直接的な欲求以外にも、それに起因する欲求が生じていきます。

この金欲にまつわる話でいうと、貨幣経済という言葉があるのは先にも紹介しました。貨幣によって効率的に直接的な欲求を満たすことができるためです。
結果、貨幣にまつわるいろんな仕組みができてきています。もともとは人間が作り出した道具ですが、あたかも貨幣の方が重要であるかのような錯覚さえ生み出します。

間接的な欲求であっても、直接的な欲求をも凌駕する力を持ちうるということです。

人間が作り出した道具にすら、そこまでの欲求を持ち得るのですから、動物に本来備わっているコミュニケーションに対する欲求なら、それ以上の可能性が十分にあります。

若干話がそれましたが、コミュニケーションにも貨幣のように世の中をかえる、それ程の力があるということです。

しかし、今のコミュニケーションは貨幣のようには、発展はしてきていないのです。それはやはり錯覚の話でも紹介したように、コミュニケーションは無意識に行っているためです。意識しないとそれは存在していると思われないためです。ないものに対して思いを寄せることはほぼ不可能です。

そしてコミュニケーションが発展していないという根拠の一つして、人間関係について少し話をします。

今の世の中も昔も人間関係の悩みは尽きることはありません。それは、人間関係の歴史の長さが、人類の歴史の長さと同じほどあると考えられいることからもわかります。
古い書き物に出てくる人間関係の問題は、今に置き換えても色あせたものには感じないと思います。

つまり、コミュニケーションを利用して自己保存やら遺伝の欲求をより満たすはずが、ある一定の効果で止まり、逆に問題を引き起こしてあるのです。そして、その問題は古くから延々と繰り返されてきたわけです。

古くから人間は必要にかられてコミュニケーションを取っているに過ぎず、
それを有効に利用できていないと言わざるを得ません。

無意識のことですので発達が遅れている未開の地なのです。
それと比較すると、先ほどの貨幣のように道具を使用するという面では発展を続けています。
精神面の発達が遅れていることは嘆かわしい事態です。
精神と科学の発達の差が色々な問題を発生させているということを指摘する学者や宗教家もいます。
子供が拳銃で遊ぶことを誰も好まないでしょう。

余談はさておき。

何が言いたいかというと、コミュニケーションというのは
生まれてこの方、なんら努力なしに必要最低限のことはできている、
ということです。

正確には、必要最低限を決める絶対的な基準がないので、できていると思っている、です。

できていると思ったら、そこには目は向けられず、力が入れられることはないですよね。
外国の言語を学ぼうとする人はいるのに、同じ言語同士でのコミュニケーションについては、さほど意欲はないように思います。
近しいところでは心理学とかがそうなのかもしれませんが、近しいというだけでコミュニケーションを学ぶという目的のモノではありません。

外国語を勉強する目的は、就職で有利というのをのぞけば、
たいていはコミュニケーションを取るためか情報収集のためだとおもいます。

コミュニケーションがとりたくて勉強する人は少なくないと思います。
外国人と何らかの理由でコミュニケーションを取りたいって思ったら、
外国語を勉強しようってなります。
しかし、同じ言語同士ではどうでしょう。もっと正確にコミュニケーションを取りたい、と、思えばいいのですが。たいていは、あの人は何を考えているんだろう、言ってることがよくわからない、言ってることとやってることも矛盾だらけ、あの人は自分と合わないんだ、という風になって終わりです。
そうだ、コミュニケーションを勉強しようって、あまりならないんですね。
それは、コミュニケーションは勉強するものという認識がないからです。
そういう認識がないから勉強するという言葉が妥当かどうかわからないですが、つまりはそういう事なんです。

相手は何を考えてるんだろう?
言ってることとやってることが違うぞ?
次に。
そうか、もっと相手の言ってることを正確に知ろう。
次に。
どうしたら分かるようになる?
次に。

と、段階を踏んで行くと思いますが、まずは、無意識に行なってきたコミュニケーションを少し意識することで見直しを行い、これからの生活に役立てていけばより良い生活がおくれると思います。

コミュニケーションの錯覚の話を意識するだけでも人との接し方は少しづつ変化してくると思います。そして、相手を理解するという言葉の意味がわかってくると思います。今までコミュニケーションをとっていたのは内なる自分であって、本当の相手ではなかったと気づくと思います。

それが相手と心を通わす第一歩となるのです。うちなる自分とコミュニケーションをとるだけの自己満足から本当のコミュニケーションへ変革させましょう。

コミュニケーションを受動的に使うのではなく、能動的に使おうという話です。

変化を起こせば今まで問題だったことが問題でなくなるかも知れません。
可能性は無限大です。
posted by 炎丸 at 21:12| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月15日

戦略なくて判断なし

日本外交の戦略性のなさが問題視されていますが















外交だけではなくて、日本そのものについての戦略もないのでしょう
















戦略という一本の筋がないから















その時々でどっちつかずの判断をすることになる















個人的には、今、OSNで戦略性なしでの組織活動の実験中である















菅さん、仙石さんも実験中なのだろうか
posted by 炎丸 at 12:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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