2010年09月14日

コミュニケーションの錯覚

みなさんはコミュニケーションって簡単だと思いますか?
それとも難しいと思いますか?

思いはひとそれぞれでしょう。
簡単だと思う人もいれば、難しいと思う人もいるでしょう。
そんな事考えたことないという人も、
そもそも考える必要もないと言う人もいるかと思います。
それぞれで面白いです。

では、相手に気持ちが伝わってないと思ったことはありませんか?
ほとんどの人がそういう経験があると思います。
コミュニケーションをとっているその時に伝わってないことを感じて、
さらに説明をすることや、
伝わっていると思っていたけど、
後々になって本心が伝わっていなかったことがわかったこと、
そんな経験が誰にでもあると思います。
思いが伝わってないことだけならまだしも、
それが原因で様々な問題が起きたという人も多いかと思います。

まずは、この、なぜ伝わらないか、というところから話をしていきたいと思います。
これを知って体感することで真のコミュニケーションへの道を一歩すすめることと思います。

それでは本題です。
なぜ、相手に伝わらないか。
なぜだと思いますか?
良く考えてから次に進んでください。

単刀直入に言います。
そもそもが伝わらないものなのです。これが答えです。
そもそも、なぜ伝わらないのか?という考え方から変えることはできないでしょうか?
かなり誇張して言っていますが、
実際は、完全には伝わっていない、ということです。
すべての始まりは、完全に伝わるという思い込みからなのです。
その思い込みから変えていきましょう。

今まで伝わっていなかったのは誰のせいでもないのです。
だから安心してください。
だからこれからも伝わらなくてもがっかりしないでください。
怒らないでください。
いいですね。

そもそもが伝わらない、そのことをこれから説明していきます。

あるお話をします。
日本人のタイシ君と、とある国のセイル君、二人のお話です。
タイシ君とセイル君はとても元気で仲良しです。
二人は追いかけっこをしたりかくれんぼをしたり、
疲れては休みながら話をしていつも一緒です。
セイル君は最近日本に来たばかりで、
タイシ君とのコミュニケーションはほとんどがジェスチャーです。

そんなある日、タイシ君はあることを考えつきました。
セイル君はもうすぐ誕生日なのです。
誕生日に、ないしょでプレゼント用意して、
セイル君を驚かせようと思ったのです。

ただ、何を用意すればいいのかが全くわかりませんでした。
セイル君がいつも取っている行動から欲しいものが何かを考えようとしましたが
いっこうにいいアイディアが浮かびません。
そんな日の夕食でのこと、りんごを見た瞬間に思い出したのです。
カタコトの日本語で「赤い食べ物嫌い、緑の食べ物好き」
と言っていたのを思い出したのです。

緑の食べ物と言ってもなかなか良いものが思いつかなかったので、
とりあえずメロンを準備してプレゼントすることにしました。

そして誕生日の日、タイシ君はいつもの公園にセイル君と待ち合わせをして、
メロンを持っていったのです。

そして開口一番
「セイル君、誕生日おめでとう。これプレゼント!」
といって、メロンを手渡そうとしました。
そうすると、セイル君の目からポロポロと涙が出てきたのです。
タイシ君はうれし泣きをしているセイル君を見て嬉しくなりました。

しかし、なにやら様子が変です。
いっこうにメロンを手にとろうとしません。
むしろ渡そうとする手を払おうとします。
そして、最後には泣いたままセイル君は家に帰ってしまったのです。

わけも分からないままタイシ君は家に帰ってお父さんにこのことを話しました。
お父さんはタイシ君とセイル君の奇妙な行き違いを不憫に思い、
事態の調査に乗り出しました。

原因は簡単なことでした。
セイル君の国では「ミドリ」という言葉は日本でいう「緑」ではなかったのです。
セイル君の国の「ミドリ」という言葉は日本でいう「赤」だったのです。
ちなみにセイル君の国の「アカ」は日本でいう「緑」だったのです。

だからセイル君はショックを受けて帰ってしまったのです。

その後タイシ君は別の日にお詫びということでイチゴを用意してプレゼントしました。
そして二人は関係を修復し友情を深めていきました。

終わり。


こういうことが、普段いたるところで起きているのです。
この話では、だれか悪い人が出てきましたか?
タイシ君が相手の言葉の意味を理解できなかったのがダメなんでしょうか?
セイル君が相手にきちんと伝えられてなかったのがダメなんでしょうか?
周りで見ていた大人の注意力がなかったのがダメなんでしょうか?
誰も悪くないんです。

これくらい話が簡単だとあまり異論もないと思います。

普段の行き違いも、この話とほぼ同じことが起きていることに
どれくらいの人が気づいているでしょうか?
または意識できているでしょうか?

国が違えば、コミュニケーションでの過ちなんて起きるものだと思う人は多数いると思います。
これが落とし穴です。
国が同じでも起きるのです。現に起きているから明白です。
それをもう少しわかりやすく説明します。

普段のコミュニケーションにおいて言葉の役割というのはとても大きいものです。
見た目や雰囲気が93%で内容7%という話もありますが、
意思疎通を図ろうとするときに言葉なしではほとんどの人が苦労するのは明白です。

それだけ言葉に頼っています。
そしてその頼っている言葉が同じだとすべてが伝わると勘違いをするのです。
そう、今の「アカ」と「ミドリ」のように。

今は国が違って扱っている言葉が違うという前提での話ですから、
ほとんどの人が違和感を感じなかったと思います。

今度は、この国というのを価値観に置き換えてください。
価値観は日本に住んでいる人はすべて同じでしょうか?
価値観は人それぞれです。
ほんとうに人それぞれです。
価値観とは育った環境や経験によって異なってくるので、
まったく同じという人はいないと思ってもいいぐらいでしょう。

わかりますか?

価値観が違えば、言葉の捉えかたは千差万別です。
今回の例え話では言葉の意味が明らかに異なる場合だったのですが、
普段のコミュニケーションにおいては少しのズレというのがふんだんに盛り込まれています。
言語学者で「ありがとう」という言葉の語源についての考察を残している人がいまして、
その人によると「ありがとう」の語源は「有り難い」という言葉で、
もともとは神仏を尊ぶ場合に使っていたものが、
普段の人と人とのお礼にも使われるようになった、
という経緯をもつと言っています。
この人は、神仏を尊ぶ場合も、普段のお礼も、双方とも感謝を表すのだから、
差し支えないかもしれないが、と断りを入れつつも、
それでは神様の方へ少し失礼になるのであります。
と言っています。
この人にとっての「ありがとう」と自分にとっての「ありがとう」は、
全く同じではないかも知れません。
同じでない方が普通なんです。
これを同じと思ってしまうところに落とし穴があるのです。

コミュニケーションには瞬発力が問われます。
じっくりと言葉の意味を考えるのは普段のコミュニケーションではあまりありません。
何らかの形で相手が発した意思を、無意識のうちに瞬時に受け取り側の中で読み替えているのです。
「無意識のうちに」というのが見落とされる理由なのです。

意識があって両者の間で読み替えていたとしたら、
何か違和感があったときにどこかで読み違えたかもしれないと気づきやすいと思います。

例えば、あるコミュニケーションが自分の母国語と異なる言語で行われる場合、
意識的に他言語から母国語への読み替えをしないといけないので、
伝わるとか伝わらないとかを気にします。
英語と日本語の話で言えば、
相手に「ありがとう」と言いたかったとすると、
「ありがとう」は英語でどう言うんだっけ?
「サンキュー」だったかな?
そして口から「サンキュー」と言葉が発せられて、
相手側で「サンキュー」→「Thank you」と伝わっていきます。
便宜上、「Thank you」を使っていますが、
ここでの「Thank you」は自分の中での少し考えないと出てこない単語と置き換えてください。
そして、相手のリアクションを見たりして真意が伝わったかどうかを確認しようとします。
さらに、もっとこういう事が伝えたいのに、伝える力がなくて悔しい、と思うと思います。

しかし、母国語が同じとなると、変換作業は行われません。意識の中では。
発信者側の「ありがとう」は受信者側でも「ありがとう」です。
もっと伝えたいことがあれば、言葉を続けていくだけです。
そしてその続けられた言葉も、
発信者側の言葉が受信者側でそのまま受け取られます。
発信者も受信者も充分満足するでしょう。

ただ、この「ありがとう」はどちらかの側で、
上の話で出てきた言語学者が言っている意味で使われているかも知れないのです。
発信者側の「ありがとう」は、
受信者の中で知らず知らずのうちに自分の「ありがとう」に変換しているのです。
お互いに、いちいち「ありがとう」の意味を確認しながら、
気持ちを伝えるようなことはしないと思います。

これが、無意識のうちに相手の発した情報を自分の情報に変換しているということです。


無意識というのは気づきにくいのです。

つまり、意識しているか意識していないかの違いはあるにしても、
いつの場合においても、読み替えを行っているのです。
読み替えが行われているのであれば、
それだけ意思の発信者と受信者の間にはズレが発生します。

だから、母国語が同じとか違うとかは関係ないのです。
発信者と受信者の価値観が違う限り当然ズレは生じてくるのです。

これが、完全には伝わらないという所以です。


母国語が同じであれば伝わって当たり前だ。
あまりにも当たり前すぎて、
このことすらほとんどの人が意識していないと思いますが、
実際のところは伝わらなくて当たり前なんです。

当たり前というのは強力な武器です。
無意識に脳が情報を処理してくれるのでこの上なく便利なものです。
すべての情報をいちいち意識して処理していたら、
脳は知恵熱ですぐにパンクしてしまいます。

しかし、恐ろしさも持ち合わせています。
無意識の恐ろしさは、それこそ意識の外なので、
自分の知らないところで問題を起こしているかもしれないということです。

世の中は変化します。
矛盾しているようですが、
意識の範疇にあるものは適応能力によって無意識に変化に合わせようとしますが、
意識の外となるとそれは意識しないと変わらないものです。

そして、当たり前が変化すると、
今までと考え方が変わることになり、
同じものが違ったものに感じられるようになります。
当たり前が変われば世の中が違って見えます。

余談はさておき。

発信者の意思が受信者の無意識によって変換されることを説明しました。
これは発信者と受信者の価値観の違いによることも説明しました。

だから、今の世の中で完璧なコミュニケーションは難しいのです。
これが当たり前なのです。
同じ言葉であれば同じものを意味するという当たり前は、錯覚なのです。

もし、ここで自分の中の当たり前を変えられることができれば、
世の中が今までと違って見えます。

だからといって今までのコミュニケーションをすぐに変える必要はありません。
当たり前が変われば自然と変わっていくと思います。

むしろ、この提言で私が恐れるのは、
そもそも伝わらないものなんだったら意思を伝えようとすることが馬鹿げてる、
と思われることです。
世の中の為にコミュニケーションはもっととって欲しいと思っています。
今の当たり前が現代のコミュニケーションに弊害をもたらしているので、
まずはこの錯覚の話をしました。

コミュニケーションではさまざまな価値観が混ざり合っているのです。
その価値観はどれ一つをとってみても同じものはありません。
まずはそのことを理解して欲しかったのです。
posted by 炎丸 at 22:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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